電子ブックで、古書を読破

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しみじみ考えることが、ひとつある。

好きな読書が形態として樣がわりして、よかったなという側面と情けないなという側面とが同居する有り樣に、昨今、筆者は考え込むことが多くなった。

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引き金は電子ブックあるいは eBook と言われる「書物」の登場である。

登場とはいえ、もう巷に出回って久しいから、正しくはそれ以来この「書物」を読むとなく読みながら、いまになって考へ込むようになっている次第なのだ。

電子ブックなんて困ったものだ、などとは思わない。

思わないどころか、つらつら思うに日常の読書で古典的な書物との比は五分五分、つまり、けっこう電子ブックのお世話になっている人間なのだ。

そのくせ考へ込むとはどういう科白かといぶかる向きもあろうが、それはこんなわけがある。

まず、わが書齋には古典的な書物が書棚に詰まっている。

例えば、世界文学の全集が英語版、和文版で百冊ずつ、どちらも The Easton Press の豪華裝幀だ。

いや、なにも自慢しているのでは到底ない。

むしろ、棚に詰まったこれらの書物を見るたびに溜め息が出るのだ。

情けなや…。

実は、本棚の Easton 原書ではなかなか手に取りかねていた大作ばかり十数冊を、最近になって手持ちの kindle で容易に読破したのだ。

溜め息のわけがこれである。

行間が狭い、活字が小さすぎる、重たいなどなど、手に取りかねていた書物十数冊をせいぜい二三百グラムの電子ブックで読みこなせたという現実に、筆者は考えこむのである。

いずれ隱居でもしたら読もうと大枚を払って集めた藏書だ。

いざ読まんとすれば文字環境が合わない、視力が弱まるなどなどの現実に気づく。

書物が遠くなって来た矢先に登場したのが電子ブックだ。

活字操作は自由自在、持ち運びに難はない。

書棚を見回す目に映る、あの本、この本、わが藏書群だ。

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一册いくら全部でいくら、とエゲツない珠盤を弾く…….それもこれも Kindle のせいだ。

読書は筆者にはおつむの食事だ。

これからも「本」は離せない。

そこで,どっちの本にするかは、これはもう歴然としている。

もう一方の本で読めたろうに、これからも読めるだろうにと拘りながら、十中八九こっちの本を持ちまわるだろう自分が予想できるのだ。

こっちの本、つまり Kindle にはこれから一層お世話になるだろう。

いずれ、わが未読の藏書をほぼ Kindle で読み切ることにでもなれば、筆者はわが藏書群に顏向けができなくなる….そこでまた、考え込むのである。

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