雛祭りの起源と由来、昔は国の公的行事だった!

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旧暦では桃の花が咲く季節であるため「桃の節句」とも呼ばれる雛祭りは、優雅な雛人形の出で立ちも手伝って、家庭で行われる年中行事のなかでは特に、古風で風流な雰囲気を楽しめるイベントかと思います。

やはり、と言うべきか起源は相当古く、紀元前の古代中国まで遡ります。

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邪気が入りやすいとされていた季節の変わり目に、心身の穢れ(けがれ)を流すため川の水で禊を行ったり、杯を水に流して宴を催す曲水の宴を開くなどして、厄払いを行ったことが原型とされています。

3月上旬の巳の日に行われていたことから「上巳節」と呼ばれ、現在でも雛祭りのことを「上巳(じょうし・じょうみ)の節句」と呼ぶことがあります。

3月3日に固定化されるようになったのは、三国時代の魏の慣わしに端を発しているそうです。

「上巳節」は、遣唐使によって日本に伝えられ、701年に施行された大宝律令により、「上巳節会(じょうしのせつえ)」と呼ばれる宴会が、公式な宮中行事として執り行われるようになりました。

今日の雛祭りは、伝来した「上巳節」の文化と、自身の代わりに災いを持って行ってくれるように願いをこめ、木や紙で作った人形を海や川に流す在来の風習や、京の貴族の間で流行した「雛遊び(ひいなあそび)」と呼ばれた人形遊びなどが融合して形作られたとされています。

室町時代のころには、神様をむかえて災厄を祓い、子供の健やかな成長をねがう行事として定着し、江戸時代には、幕府によって公的な祝日として定められました。

この頃になると、現在のように女の子のための節句として、庶民の間にも広く親しまれていたようです。

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