異常気象で災害続出の近年

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近年を振り返って、なんと災害の多い年だったかと、今さらのように思う。

文字通り異常気象の年だった。

想像を絶する洪水、経験したことのない強風と、日本列島は記録破りの天災に飜弄された。

どれもこれも、人の力が到底及ばない、いわば自然の力の大きさを思い知らされる災いの連続だった。

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異常気象などの四字熟語ではとても説明できない、それは厳しくも恐ろしい自然の猛威だった。

ひとつ、なんとも痛ましい出来事があった。

広島の土砂崩れである。寝静まった眞夜中に、こともあろうに家の背後の土砂が瞬時に崩れて、界隈がそのまま埋め潰され、何人もの住民が亡くなった。

新婚の若夫婦が新居ともどもに生き埋めにされた話は、思い出すだに涙を誘う。

親しい者を失った人々の心痛は察するにあまりある。

なんとか防ぐことはできなかったのか、眞昼時のことだったら、と人は後知恵ながらあれこれ思いを語る。

だが、本当に何とかならなかったのか。

誤解を恐れず、筆者はひとこと、いいたいことがある。

それはこういうことだ。広島の土砂崩れは、自然の力を侮った人災である、ということだ。

土砂崩れの慘状を映す映像が流れた。山の裾まわりが造成され、ぐるりと家屋が建ち並び、その一箇所が山から崩れ落ちた土砂流に埋め尽くされている。

その左右は無疵のままだ。

土砂崩れは裾まわりのどの箇所で発生してもおかしくなかったように見える。

つまり、あの土砂崩れは起こるべくして起った人災だった、ということだ。

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山裾の斜面を造成して家を建てて売り出す。

危うさを知らされば買うまい家を、それと気付かずに買ったとすれば、住民こそいい面の皮である。

危うさを毛ほどでも感じていたとしたら、買った住民にもこの人災の責任がなしとはいえない。

広島の土砂崩れは、責任の多少はあれ、自然の力を侮った人災である。

異常気象が喧伝されて久しい。

洪水、自然災害が新聞紙上を賑わさない日はないほど、いま日本は陸に海に、空に自然の猛威にさらされている。

天災が手に負えぬときに、さらに人災で災害を増やすとはなにごとか。

人が住めぬところに家を建てるとはなにごとか。

神をも恐れぬ振る舞いとはこのことである。

規制緩和の叫びがけたたましい昨今、政府は広島に学び、むしろ宅地造成の規制は逆に厳格化すべきだ、と筆者は考えるのである。

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