命って何?平均寿命と健康寿命
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「命ってなんだ?」などの大上段に振りかぶるつもりはないが、先進の高齢社会になった日本では、否でも応でも命がらみの話しは語りもするし耳にもする。
ジャンヌ・カルマンなる人物が「122年164日」生きたのが最長だ、などというもっともらしい風説もあるが、
人間の生物学的な寿命は、まあ120歳あたりだとして無難だろう。
これ以上は頑張っても生きられないという、命のシーリングだ。
この頃100歳の大台を越える年寄りは多いが、たしかに120歳近く、あるいはそれ以上の長寿者の話しは寡聞にしてきいたことがない。
ところで、人の寿命をいうときに平均寿命という物差しがあって、今年(2014年)のWHO世界保険統計によれば日本は男女平均84歳で世界一の長寿国になっている。
2位以下は、アンドラ、オーストラリア、イタリア、サンマリノ、シンガポール、スイスが続く。
女性だけをとれば、日本が1位で87歳だ。女性優位は世界的な現象で、これにはなにか生物学的な理由があるのだろう。
日本に引き戻して考えてみよう。
この平均寿命という物差しでは日本人はたしかに長生きだ。
女性より7歳劣るとはいえ日本の男性の平均寿命も80歳と立派なものだ。
だが、である。
最近、平均寿命と並んで健康寿命という物差しが持ち込まれて、寿命の話題が多様化しているのだ。
健康寿命、まだ耳慣れない言葉だが、2000年にWHOが公表したのがはじめてで、健康上の問題がなく日常生活を普通に送れる状態を指すということらしいのだ。
要は、さまざまな介護機器なり処理なりを施さずに元気でいられる年齢を平均化してどうか、という数字らしいのである。
さて、その健康寿命の平均値は日本では男性が72.3歳、女性がゾロ目の77.7歳だという(2004年WHO保護レポート)。
もっともこれはWHOの基準で算出された数字で、2010年の厚生労働省のデータでは、それぞれ70.42歳と73.62歳でやや低めだ。
この違いは「健康寿命」の定義が違いによるらしい。
さて、ここからが本題なのだが、そもそもわれわれは寿命の平均値をどちらの物差しで考えるべきか、という話なのだ。
昨今、命を大切さが疑われるような事件が折々に発生しているが、それは刹那的な現象と考えたい。
それよりは、高齢化社会に生きて、われわれは一つずつもらった命をどう生きるかという、生きる原点に触れる問題に向き合っているのだ。
誤解を恐れずにいえば、体中に管をさされて天井を見つめるだけの命は、とても健康寿命値には取り込めない。
傘寿を越えて一日一万歩を歩くお年寄りとは、命の意味合いが違う。
命の大切さが疑われると書いたが、ヒネった言い方をすれば命の概念にはさまざまな「位相」がある。
「命、預けます♪」などの命も、一生(所)懸命という「命懸け」の命もある。
どちらも命の価値を下敷きにした情念だ。
価値のある生命だからこそ、預けもし懸けもするのだから。
この話、ややもすれば底なし沼のような議論になりかねないから、思い切って単純化しよう。
健康寿命という概念は、じつは一万歩のお年寄りの話であって、管につながれた人たちは員数外におかれているということだ。
員数外とはいえ、平均寿命と健康寿命のハザマにいる人たち、そのものだ。
高齢化社会が語られるように久しい。
寿命値を考えるとき、われわれの前に高齢厚生の高い壁が立ちはだかる。
二つの数値を並べて眺めていると、命なるものの扱いに、猿とは違うといわれる人間の知恵をどこまで絞り出せるか、それこそ命懸けの仕事が目前に積み上がっている現状に吐息するのだ。
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