早いもので、あの映画「サウンド・オブ・ミュージック」のプレミアからもう半世紀、50年も経っているんだな、と感無量。
何しろそれがしはあれをアメリカで生で觀ているんだからそのわけだ。
音樂は好し物語は好しで、あの作品はまさに一世を風靡した。
今日はこの物語をめぐる経緯が魚だ。なかなか釣り甲斐のある獲物だった。
その「サウンド・オブ・ミュージック」の主人公、マリア・オーガスタがどんな経緯でトラップ大佐とああなったのか、物語の筋でも聞こうものなら、並みの映画ファンなら噛み付かれるだろう。
まあ、それほど知られた物語だからだ。
ところが、である。
マリアもトラップ大佐、実は大尉なのだが、ふたりとも実在の人間なんだが、実はマリアは映画の筋書きのような次第でトラップ家は行ったわじゃないのだ。
ザルツブルグの修道院に入った新米修道女、マリアは、ストレスでまもなくひどい頭痛を訴えるようになった。
そこで、療養もかねて折しも妻をなくして七人の子どもを抱えて難澁していたトラップ男爵の世話をするように修道院を出る。
マリア・オーガスタは男爵と結婚、三人の子どもを産む。
トラップ一家は歌う一家だった。
ソプラノのロッテ・レーマンがこれを聽いてザルツブルグの音楽フェスティバルで合唱部門に挑戦するよう勧めた。
一家はこゝで第一位となったが、ザルツブルグで二度とは歌わなかった。
熱心なローマ・カトリック信者で強烈な反ナチだった一家は、ヒトラーがオーストリアを占領する直前に国を離れた。
実話のマリアは物語が描くおしゃべりで軽薄な女性ではなかった。
物静かな、中世の家母長という感じの女性だったという。
トラップ一家のアメリカでの生活も、物語とはちがってスムーズではなかった。
マリアは長距離電話が好きで、長方形の封筒が気に入らず、ナシにマヨネーズを掛ける食感を忌み嫌ったという。
そうこうするうちに、一家はバーモント州に定住、いま旅館を営んでいる。
考えてみれば、やはり野に置け蓮華草というではないか。
折角釣った魚だが、この物語、あまり詮索しないのが粹というものか。