長岡まつり大花火大会の歴史!日本一とも称される

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東京の「江戸川区花火大会」(第1土曜日)、長野の「諏訪湖祭湖上花火大会」(15日)、秋田の「全国花火競技大会」(第4土曜日)など、8月には、全国各地で盛大な花火大会が開催されています。

そのなかでも、日本一と称されているのが、新潟県長岡市で2日と3日にかけて行われる「長岡まつり大花火大会」です。

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信濃川の河川敷を会場として、両日合わせ2万発の花火が打ち上げられる、スケールの大きい花火大会で、直径650mもの大輪を咲かせる「正三尺玉」や、全長650mにもなるナイアガラなど、バラエティーに富んだ様々な花火が、100万人に及ぶ観客を魅了します。

長岡花火の歴史は古く、1840年(天保11年)、長岡藩10代藩主の牧野忠雅に川越移封の命が下り、翌41年にそれが中止になったことを祝し打ち上げたのが発祥とされ、花火大会そのものの起源は、1879年(明治12年)、千手町八幡神社の祭礼に、遊廓関係者が資金を出しあい350発の花火を打ち上げたことが始まりとされています。

その後、花火技術の向上と開発が進み、大正時代には、正三尺玉などの大玉が登場するほか、水中花火などの仕掛け花火も登場し、昭和のはじめには、全国にもその名が知られるイベントへと成長しました。

しかし、戦争が激化すると花火大会は中止となり、戦争の終結間際となる1945(昭和20年)年8月1日には、22時30分から1時間40分もの間に渡り空襲を受け、市街地の8割が焦土と化し1,486名の命が失われました。

花火大会は、戦争終結の翌々年から「長岡市戦災復興祭」の名で復活し、戦後は、戦災殉難者の霊や遺族を慰めることに重きを置いています。

現在も、空襲被害者への慰霊と、復興に尽力した人々への感謝、恒久平和への願いを込めて、前夜祭となる8月1日の22時30分には、白菊と呼ばれる白一色の尺玉が3発、2・3日の大花火大会の冒頭には、10号の尺玉を2発打ち上げています。

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