猿の思いやりを人間も見習う?
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犬が人を咬んでもニュースにはならない、という。
つまり人が犬を咬んだらニュースになるというわけなんだが、今朝のエレビで、ありそうもないことが現に起っている様子を見て、瞬間ドキッとした。
身の囘りでの出来事ではなく、遠くインド北西部のカンプールという町で、
猿が死にそうな仲間を蘇生させたという「ニュース」がテレビに流れた。
電線に触れて感電し、意識を失った仲間の猿を、猿たちが「介抱」して「生き返らせた」というのだ。
20日のことだという。
その報道は、「英雄的だ」、「思いやりのある猿だ」、「思いやりは人間だけじゃない」などと、地元市民の反応を伝えていた。
このニュースは映像つきで、線路脇のよく見るとぐったりしている一頭の猿をほかの一頭が抱き上げては放り出したり、そばの水溜まりに投げ込んでは引出したり、見た目にはいじめているかのような仕草が映されている。
取り巻きの猿たちは右往左往の状態だが、見方によっては心配して落ち着かない風情にもみえる。
ときにはかみつくような様子も見えて、一見「介抱」とはとても思えないのだが、とゞのつまり、20分ほどでなんとこの猿が「われに返った」つまり「蘇生」したのだ。
丗に猿知恵という。
人間にしてみればつたない知恵、小癪な知恵といういほどの意味だが、こう「介抱」から「蘇生」までされてしまうと、猿の知恵というのを見くびれないことになるかも知れない。
半死状態の仲間を乱暴に放り出したり水に漬けたり、人間には思いやりある扱いでは到底ない。
それでも、たしかに生き返ったことは間違いないのだから、猿社会では人間社会とは尺度の違う思いやりがあるということなのだ。
猿知恵、軽んずべからず。
ところでこの話、猿って大したものだな、では済まされない余韻が残る。
地元のだれかが「思いやりがあるのは人間だけじゃないね」といったというところが、ぐさっと来るのである。
「そんなこと、はたして人間がいえるのか?」….。
昨今の新聞紙上には読むに耐えない事件が伝えられる。
親が子を、子が親を考えられない仕方で扱い、時には死に至らしめることが、人間社会に現に発生しているのだ。
だから猿に見習へ、とまで短絡はしないのだが、この猿の人助けの報道、これにじーんとくるか、ぐさっとくるか、あるいは「猿も見捨てたものじゃないな」ほどでお茶をにごすか、どうも人間たるもの、セルフリトマスに掛けて「身のほどを知る」きっかけにはなるのではないだろうか。
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