節分の豆撒きの由来

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元々は季節の始まりの日である立春・立夏・立秋・立冬の前日、つまり年に4回ある季節の終わりを節分と呼んでいました。

しかし江戸時代の頃より、1年のはじまりとされた立春のみが注目されるようになり、次第に節分といえば春の節分を指すようになりました。

また現在では、節分と聞くと2月3日という日付を思い浮かべるようになりましたが、2020年以降、閏年の翌年には2月2日になることが多くなるようです。

太陽の運行によって立春が定められているため、必然的にその前日にあたる節分も変動しているのですが、1985年以降2月4日の立春が続いたため、節分は日付が決まっていると勘違いしている人もいるようです。

豆まきの風習は、中国で行われていた「大儺(たいな)」という儀式が源流とされており、平安時代の律令施行や細則をまとめた「延喜式」によると、季節の変わり目に生じる邪気を、恐ろしいお面をつけた陰陽師らによってお払いする「追儺(ついな)」と呼ばれる宮中行事に取り入れられたとされています。

豆で鬼を払うようになったのは室町時代以降で、臨済宗の僧によって書かれた「臥雲日件録」によると、当時の人々も「鬼は外、福は内」と声を出しながら行っていたようです。

この風習は、鞍馬山に棲む鬼が都を襲った際、毘沙門天のお告げを受けて大豆を鬼の目に投げつけて退治したという故事伝説に由来すると伝えられています。

庶民に広まったのは江戸時代以降で、新春を迎える厄払いの行事として、寺社や家庭に広まっていきました。

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