師走の富くじと紅白歌合戦

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暮れはどこかせわしない。

昔は師走などといって、おっ師匠さんまで小走りしているって。

言葉使いまでせわしないからおかしなものだ。

「今年ももう押し迫って….」などと、人をやたらに急かす風情がある。

そういわれるとわが身もおたおたしていられない、などという具合に年の暮れは落ち着かない。

そんな浮ついた気分をさらに煽ろうというのが、年の暮れ特有の行事だ。

昔は師走というと必ずどこかの神社の境内が賑わった富くじ、いまならモダンに紅白歌合戦。

紅白歌合戦については、かってほど騒がれなくなったかも知れないが、筆者の時代感覚ではどうも富くじの向かうを張れるのは紅白歌合戦だという思い入れがある。

この辺りのお見逃しいただいて….。

さて、昔の富くじだがいまの宝くじとは同類にして同種にあらずという圧倒的に師走ならではの行事だった。

だった、というのはおこがましいのだが、物の本によると、どうもそうだったらしい。

「富久」という落語があるのだが、ご存知だろうか。

なけなしの一両をはたいて買った富くじを神棚に入れて、お得意の火事見舞いに出かけていた隙に、あばら屋ながらわが家を焼かれた久蔵が、、自分のくじがあったてはいないかと、境内に出向いてみたらなんとこれが千両の大当たりだ。

これで助かったと、掛け合ったが札がなくてはダメといわれて意氣消沈。

そんな久蔵を見かけた大家が、「神棚とボロ布団は助けてあるぞ」のひとこと。

狂った久蔵は大家と大げんか、神棚に「なに」がなきゃてめぇを殺す..」の騒ぎ。

開けてみたら神棚の中に当りくじの札、「これでご近所のお祓い(=お払い)だできる」という落ちだ。

話の落ちまで書いたにはわけがある。

富くじがあばら屋の庶民にまで流行っていた、師走の大きな行事だったとお伝えしたかったからだ。

あまりの人気に、射幸心を煽りすぎると亨保には禁止された。

その相棒の紅白歌合戦だが、頭にも書いたようにいまはさほどではないかも知れないが、ひと頃まで、そう、昭和も40年ほどぐらいまでは、紅白は氣合ひの入った「師走の行事」だった。

大晦日のお勝手は大変だ。

蕎麦の仕込みを済まして、その家の女主人がテレビの前の車座に加わる頃は、歌合戦たけなわだ。

白だ紅だ、トリは誰だと二時間の余も騒いだあとに、テレビの画面に何処かの名刹の遠景、百八つの鐘をいくつかまでしんみり聞いて、年越し蕎麦をすすり(いや通はタグリというらしいのだが)、やおら元気のいいのは地元の寺社に初詣に出かけたものだ。

家々に違う風情があったろうが、ひと頃までは平均的な日本人の家庭に、紅白歌合戦はかつての富くじに劣らぬ喧噪と浮揚感あたえていた。

筆者などは、そんな風情がいかにも懷かしいのである。

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