精霊流しの起源とは?長崎を中心に見られる

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長崎県をはじめ、佐賀県や熊本県の一部地域で行われている「精霊流し(しょうろうながし)」は、故人の霊を供養し、再び魂を彼岸へ送り返すお盆行事のひとつです。

初盆を迎えた家では、提灯や造花などで飾られた大きな「精霊船」を作り、初盆以外では藁を束ねた小さな菰に供物を包み、霊を送り出すことが慣わしとなっています。

爆竹音や鐘の音、掛け声などが交錯するなか、船を曳いて街中を練り歩き、「流し場」と呼ばれる終着点まで運ぶ伝統行事で、15日の夕刻から夜遅くまで行われています。

船の大きさは全長1~2mのものから、何艘も連ね20~50mにもなることもあり、家族や親族が作る「個人船」と、自治会や病院、葬祭業者などが音頭を取る「もやい船」の二つに大別されます。

精霊船は、お祭りの山車のような華美なもので、曳き回しのパフォーマンスも行われることがありますが、一般的には好ましい行為とされていないため、警察が制止することもあるそうです。

実際に川や海に船を浮かべる地域もありますが、長崎市では、1871年(明治4年)に禁止されており、流し場に到着した船は位牌などが取り外され、合掌のなか重機を使ってその場で解体されています。

長崎の「精霊流し」は、全国的に行われている「灯籠流し」や「万灯流し」が、独自に発展したものと考えられれていますが、その起源は、諸説あり判然としていません。

一説には、江戸中期の享保年間に、盧草拙(ろそうせつ)という儒学者が、供物を菰包みで流すのは死者に対して失礼だとして、藁(わら)で作った小舟に供物を乗せたことが始まりとされています。

その後、この風習が庶民の間に広がり、竹や藁で作った1~2mほどの「わらぶね」を担いで練り歩き、最後は灯をともして長崎港より流すようになり、現在でも、長崎県内だけで約3千隻の精霊船が作られているそうです。

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